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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2021年10月22日

顔認識温度測定端末が第4回デジタルチャイナサミットで重要な役割を果たす

第4回デジタルチャイナサミットは2021年4月25日に正式に開催されました。サミットのエピデミック防止施設は完全に配備されました。このサミットのメイン会場として、福州海峡の通路の入り口でのエピデミック防止対策の展開はどうですか。国際コンベンション&エキシビションセンター?同時に、サミット中のエピデミックの管理と制御の効率をより効率的にして、人々が迅速かつ秩序正しく展示ホールに入ることができるようにするにはどうすればよいですか?市民が懸念しているこれらの問題を取り上げてください、一緒にサイトに行きました。

エキシビションセンターの各入口には、ヘルスコード一体型マシンによるラキンダF3顔認識温度測定が装備されています。ラキンダのスタッフは、ヘルスコードを迅速に検証するプロセスを実演しました。予備計算によると、1人が約1〜2秒で通過します。 、そして誰もが非常に満足しています。

「会場の入り口は顔面温度測定ヘルスコードシリーズの製品で完全に覆われており、15万人以上のゲスト、出展者、関連する展示プロジェクトの担当者のエピデミック防止と安全性を確保しています。」ラキンダの技術スタッフはそこで記者に紹介しましたは、デジタルサミット会場の出入り口に大勢の人が集まる場所です。エピデミックの予防と管理のための包括的なサービスを確保するためには、エピデミック防止施設の最適化とアップグレードが特に重要です。

展示ホールに出入りする前に、担当者はスマート検証端末を使用して指定された入口で本人確認をセルフチェックし、健康コードを使用して通路を確認する必要があります。デジタルチャイナサミットでは、健康コードの検証と顔の温度測定統合機を使用して、会場内外のすべての検証入口と出口で流行の予防と制御を行う包括的なサービスを提供し、人員ID情報と体温検出などの健康情報を自動的かつ正確に照合する効果を実現しました。防疫の安全性を確保すると同時に、参加客や出展者がサミットに参加する際の利便性を提供します。顔面温度測定健康コード検証端末は、「バミン健康コード」または「全国疫病予防健康情報コード」を認識し、居住者IDカードを迅速、便利、安全に「非接触、コード変更なし、滞在なし」を実現するセルフサービス検証を形成します。F3(ツーコードインワン)顔面温度測定ヘルスコード端末も、素晴らしい創意工夫の旅をもたらします。

Shenzhen Rakinda は、デジタルチャイナサミットの「ヘルスコードエピデミック防止ソリューション」サプライヤーであり、展示会にも招待されました。F3顔認識端末、T8ヘルスコードエピデミック防止端末、熱画像マルチパーソン温度測定およびスクリーニングシステム第4回デジタルチャイナサミットのエピデミック予防と制御作業に効果的な手段を提供し、デジタルエピデミック予防の結果を解釈する能力が高く評価されています。今後も、ラキンダはデジタル時代、デジタルイノベーションの成果、 21年以上の独立した研究開発技術の経験により、シナリオとカスタマイズを通じて、あらゆる分野のIoTアプリケーションに一連のソリューションを提供します。
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Posted by ゃはねぬ at 18:27Comments(0)

2018年07月02日

良い機会でもあ

・・・・・・・っということで、明日の未明いよいよベルギー戦ですね。

時間的には見てから寝るより、寝てから見る方なのかな?

W杯はいろんな楽しみかたがありますが、対戦国のことを知る良い機会でもあります。

ベルギーは新婚旅行で行きました。

知識としては、グランプラス広場、小便小僧(ジュリアン)、ブルージュ、ムール貝、チョコレート、ビール、刺繍、ワーテルロー・・・くらいかな?

歴史的にはドイツ軍がフランスへ侵入するときの通り道かな?


小さな国です。

人口は東京都よりちょっと多いくらい。

存在理由は、フランスとオランダとの緩衝国・・・これはうる覚えですから正確じゃないかも。

両国にはカトリックとプロテスタントの違いがありますもんね。

言葉もフランス語とオランダ語系で分かれているはず。

当初は中立国だったけど、いまもそうかは知りません。

EUの本部があるからたぶんそうなのかもね。

ヨーロッパには大国に挟まれた国が多いですよね。

自国のアイデンティティーを保つのにハンパない努力が必要でしょうね。

否応なしに外交能力が身に付くでしょう。

ベルギーチームにルカクという黒人のエースストライカーがいますね。

純血の日本チームからすれば、ズルいじゃんと思っちゃいますが、こればかりは仕方ない。

彼がアフリカのどの国の出身かは知りませんが、ベルギーはコンゴを植民地にしていた時代があったんですね。

コンゴはご存知、ダイヤモンドの産地です。

ベルギーがダイヤモンドの取引市場として有名なのはそのためなんですね。

・・・・・・と、ここまで書いたけれど、ベルギーにダイヤモンドが集まってきたのは、その研磨技術においてだったようです。

こんな具合に、自分の理解が曖昧なことを教えてくれるのも、W杯効果だってことに・・・
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Posted by ゃはねぬ at 18:58Comments(0)

2017年12月18日

と言われるのも怖い

先週の朝日新聞の“いわせてもらお”欄に載っていた下記の投稿文には、大笑いしてしまった。
 
『確かに聴こえた』
かかりつけ医院で「知能検査をさせて下さい」と言われた。
ついに認知症が顕在化したか……と覚悟していると、「採血でーす」と呼ぶ声が。
思わず看護師に「最近は血液で知能検査ができるのですか?」
血の検査でしたか。 (78歳)

聞き間違えなんて珍しいことではないので、そんなに可笑しい話ではない。それなのに私がこんなに笑ったのは、きっと自分にも認知症への恐れがあるので、同じ聞き間違えをするかもと思ったからだろう。
もっとも最近は軽度の認知障害なら血液検査で分ると、何かに出ていたが。検査してくれる施設も多々あるらしいから行けば良さそうなものだが、検査して認知症の初期です、と言われるのも怖い。私は脳の検査にも行けない弱虫だ。口は人一倍達者なのに、と友は呆れるが。
アルツハイマーなんかは初期で分っても、進行は遅らせられるが治すことはまだ出来ないと言うから、知らない方が幸せってこともある。

平均年齢78歳のわがエッセイ教室、最近は身体の話や失敗話が多くなった。
特に83歳のエサカ氏は3回続けて脳の老化についてのことを書いている。特に彼の気懸りは車の運転のようだ。最後の車だからと奮発して買ったスポーツカー、ゴルフに行くときに必要なのでなかなか手放せない。 
去年くらいまでは、なんでもズケズケと言う私とキタムラ女史で、危ないから免許書を返上するように言っていたのだが、最近は言えなくなってしまった。本人がいちばん悩んでいるからだ。
彼のエッセイによると、高齢者が運転免許証を更新する時は「認知機能検査」を受けなければいけないらしい。それが今年から厳しくなって、以前はこの検査で落ちても免許証が交付されたものが、認知症と判ると免許停止か取り消しになるらしい。当然のことだ。
3月の施行から9月までの間に免許の取消しか停止になった人が、697人もいたそうだ。“認知症の恐れあり”は30,170人。ゾッとする話である。
他人事でなくなったとエサカ氏。でもそう言いながら自分が「認知機能検査」にパスしたことでホッとしているようだ。「判断力が少し低くなっています」だったとしても。
私の友人の70代後半のご主人なんか、自分に自信がなくなった時点で免許書を返上しているというのに。
ゴルフのための運転ならゴルフをやめなさいよ、と言いたいところだが、ゴルフは彼にとっては生きる歓びと認知症予防の1つなんだろう。でもなあ。

我々がこんなに認知症を怖がるのは、身内に迷惑をかけることを心配してのことに他ならない。
長生きし過ぎなのかも。平均寿命が延びても健康寿命が延びてないと嬉しくない。
ボケた年寄を抱えた家がどんなに大変か。先を考えると若い人も子供を作れないだろう。
お役人さま、教育無償化もいいですけど老人問題にも力を入れて、若い人のためにも安心してボケていられる世の中にしてくださいませ。FIC
FIC
FIC
FIC
FIC
FIC
FIC
FIC
FIC
FIC  


Posted by ゃはねぬ at 16:05Comments(0)

2017年11月03日

彼女らにとって

インターネット上に質問を投稿すると、

それを閲覧した人たちから、程なく回答が寄せられる。

便利な時代と感心する半面、自分で調べたわけではない

“借り物”の知識をため込んでも 

本物の知性は磨かれないのではと心配になる

記者という仕事柄、一つの事実を確かめるために、

何冊もの書籍と格闘することが多い。



有益な情報を得るための努力は、

頭とともに心を鍛えてくれるように思う。

加えて、本との関わりは、知識を得る以上に、

価値ある生き方を教えてくれる。

先日も、本の存在の大きさを 痛感する出来事があった。

宮城県の気仙沼湾に浮かぶ「大島」の中学校に、

学会から優良図書300冊と書架が贈られた。



贈呈式に臨んだ生徒が喜びを語った。

「島には書店がありません。

大切に読み、人の役に立つ人間に成長します」

大島は東日本大震災の際、東西の浜から押し寄せた

津波に挟み撃ちにされ、島内では火災も起きた。



そんな極限の恐怖を経験した子どもたちが今、

島の復興や地域社会に役立ちたいと、本を成長の糧に学んでいる。彼、彼女らにとって、「本」は未来を切り開く

“宝剣”となるに違いない。

人生を変えるほどの大きな力が、本にはある。

珠玉の一書に出あう喜びを大切にしたい。

きょうから読書週間。  


Posted by ゃはねぬ at 18:45Comments(0)

2017年10月23日

意識がいくから

私は好きなこと以外にそんなに関心が継続しない人間です。

これは一見すると良いことに見えるのですが日常生活にすこし支障があります。

例えば複数の人物が目の前にいて、その中に好きな人が一人入るとその人の話ばかりに意識がいくからです。その場にどれだけ人がいても、私には好きな人が何をしているかだけが大事です。そこに他者の評価は介在しません。

好き、以外の人が決して嫌いなのではなく、その人に対してあまり長く意識が続かないのです。これはとても我儘というか勝手な所だと、最初は気づけませんでした。

そのような、日常における譲り合いはお相手は当たり前にしてくださっているからです。例えばクラスメイト、例えば近所の人。全員に興味がある人なんていませんよね。

それでも、相手が不快になったり不安になったりしないように、親しく声をかけあって適切な距離を保っている。私は気を抜くと、その礼儀を忘れてしまうのです。

つまりこれはただの傲慢や失礼なので、誰かとお会いするときは意識して直すようにしています。子供の頃は特にひどく、好きな人間としか会話をしなかったので、とても反省しています。

例外としては、私は私の「好きなもの」にとても強い執着心があるため、それらを傷つけたり、傷つけようとしたひとものことだけは、関心がなくともかなりはっきり記憶にとどめています。これは復讐心ではなくて、危険を回避するためなのでやはり攻撃の意図はありません。

この件に関して唯一良いかもしれない、と思うことがあってそれは嫌いだったり怒りの感情も瞬間的に沸いた後、すぐに自分のもとを去ることです。

私が何かに好意的ではない感情を抱くとき、そうすることが好きでやっている節があります。そして、気がすむまでそうしたら、そうすることに関心がもてなくなって、やめてしまいます。

自分を傷つける人のことを深く考えてしまうときがわたしにはあります。

それはその人のことを分かりたい、悪く思いたくないからです。優しさからではなくて、知らないことを理解することが楽しい事と、誰かを断ずる事は可能性を断ずることだと思っているからそうしません。私がそうしたくてそうしています。

けれど、もっと楽しい事があったらそれは忘れてしまって、また関心ごとにだけ向かって行きます。

と面倒くさい話を前置きをした上で

すこし前に、ある人が強く言われているのを見てなんだかとても嫌な気持ちになりました。要約すると「あなたのために、こんなに考えているのにイライラする」という内容でした。

誰かに怒りを表明するとき、「相手の為に」と前置きしたり、感じたりするほど自分の収まらない気持ちを放っていることが多いと思います。

褒められたことではありませんが、私はいつもじぶんの為に過ごしています。

例えば、誰かが困っていて私がそのために何かの犠牲を払うことがあれば、私はそうしなければもっと大きな別の損害が発生するからそうしています。

簡単にいうと、好きなものが困っていると私も困ります。

大体の場合、好きなものが健やかに存在している状態を好むからです。

だから、私にはやさしさは多分なく、していることは私のためのものです。

そんな傲慢な感情はいらないと相手が言えば、私はその相手のことが好きなのでまた相手が不愉快ではない距離感や手法を考え直すだけです。

自分とスタイルの違う人を否定するつもりはありませんが、なんだか先週中不満だったのでこの気持ちを手放したくなって、今書いて整理しています。

私の大好きなひとたちが傷つけられるといやな気持ちになります。

大体にして外野からは適当な声が飛びます。

インターネットでも、会社でも、学校でも、どこでも。

それが必要な声だったり、有益なことだったりすることも多いし、そのお陰で救われることもあります。また、自分がその声になってしまったり、とにかく突然石につまずくことも石になることも、生きていく上で当たり前に起こります。それを避ける確率をあげる事はできるけれど、0%にすることはおそらくできません。それが世界だし、それが許されるから皆が生きられるとも思います。

でも、ほとんど本当に無責任な声です。

あなたのするこということに、何の保証もしてくれないし、言ったら自分がよいものになった気がするから、ただの自己実現で言ってくることもたくさんあります。

だからあなたも、その声の気持ちは受け取らないでそれらの声がもつ「情報」だけを抜き取って自分の栄養にしたり、役に立たなければ間引いて捨ててください。

いやなやつのいう事でも、役にたつならありがたくもらって気持ちだけ捨ててしまいましょう。ふぐみたいなもので、毒を取り除けば美味しいものもたくさんあります。

大体にしてわたしたちは、自分のことなら何とか立ち直っていけるけれど、大事なものが出来るとそれらに対することではとても動揺してしまいます。

いやな女だと言われて無視できても、いやな彼女とか妻とか母親だと言われれば愛するものに申し訳なくなってきます。

悪い友人だとか、悪い親だとか、悪い恋人だとか、田舎者だとか、おばさんだとか、おじさんだとか、終わってるとか、そういう誰が決めたかわからない基準の中で、一瞬戸惑うけれどそんなことより、あなたがあなたを好きで あなたの好きな人に好かれていて、お互いに健康で安全であればそれでとりあえず大丈夫で、あとのことはあとから徐々にくっつけていけばいいことです。

私はいま、こんなことくらいしかあなたのことを守ろうとできないことがとても情けないです。でもいつかめちゃくちゃかっこいい方法を見つけて、颯爽とすきなひとを守ろうと思います。もちろんあなたのためではなくて、あなたを好きな自分のために。

私の好きなあなたたちは、ただそこに生きていてくれてるだけでとっても素晴らしいから、次は私の番だなあと思います。がんばってとりあえず、楽しい事を何個か探しておきます。

99%大丈夫だと思うけど、思うけど。

私は時々、あなたが無責任な外野の声で人生をやめてしまわないか怖いのです。

悲しい事はわたしがいつかきっとぶっとばしてあげます。

だからずっと、幸せになろうと思って生きていてください。

どうか、好きな人みんなに読んでもらえますように。

それではまた、お便りします。  


Posted by ゃはねぬ at 16:39Comments(0)

2017年09月04日

思案する時間

台風15号さんも大きな被害を残さず北上しつつある日曜日の夜、いかがお過ごしでしょうか。

わたしはと言えば、なんだかんだで体調が劇悪だったな (汗)
今週ずっとめまいが酷くて足下がおぼつかなかった所為か、コーヒーを股間にこぼしたり、朝がグダグダで起きられなかったり、何かとダメダメでちょっちょばかり散々だった (笑)
台風シーズンの不調は慣れっこなので、ちょっと注意すればなんとかなるけど憂鬱だね。

来週はちょっと楽しみにしているプライベートイベントが幾つかある。
日記のネタにしようと思うので詳細は省くけど、予定を考えながら「あれしよう」とか「ここに行こう」とか「これ食べよう」とか、いろいろ思案する時間は楽しいね。
自他共に認めるインドア人間で、人付き合いが苦手なわたしでも、ちょっとした楽しみぐらいはあるんですよ (笑)

話は全然変わるけど、今日お買い物に出たとき、コインケースの中身が空っぽになった。
……といっても所持金がスッカラカンになった訳じゃない。
お買い上げ金額とコインケースの中に入っていた金額が奇跡的に一致したのだ。
単純なわたしは無性に感動したんだけど、日常のそういう小さな出来事って大切だよね (笑)

てなわけで。
まずは明日のお仕事がんばりましょ。
朝起きるのは億劫(おっくう)だし、職場まで行くのはダルいけど、行けばなんとかなるでしょ (笑)
短いけど今日はここまで。でわでわ~。  


Posted by ゃはねぬ at 12:03Comments(0)hrfijizx

2017年08月10日

かなり真面目に

♪だけどもし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように

昔、こんな歌詞の唄が流行した。

当時は他人事だと思っていたが、最近オレは似たような恐怖を感じている。

今週のお題は『ちょっとコワい話』。正にそんな話である。

というのも、次男の声がオレの弟の声とそっくりになってきたのだ。

気を抜くと、次男に向かって弟の名前を呼んでしまいそうで毎日がヒヤヒヤ。

今オレが認知症になったら、間違いなく次男の声が分からなくなる。

笑い事ではない。当人としては、かなり真面目にコワい話だったりする。

某密林サイトのレビューもコワい。

無料小説サイトに掲載されていた作品が映画化されて話題になっているが、

その原作に寄せられるコメントがかなりキビシい。

オレが作者だったら、毎晩、枕を涙で濡らしそうなレベルだ。

試しにその原作本を買ってみたが、文は間違いなくオレより上手い。

――もしオレの作品が本やアニメになったら。

そんなささやかな夢が、なんだか打ち砕かれたような感じがしてしまう。

某所の企画に参加しているくらいが、オレにとっては一番幸せなのかも。

その夏企画が今週末から始まる。

テーマは『ゲート』。

参加できるかどうかは分からないが、最後まで足掻いてみる。

まあ、ぶっちぎりで優勝できるくらいじゃなきゃ映画化は無理なのだが。
  


Posted by ゃはねぬ at 12:21Comments(0)

2017年07月10日

で戸惑ったもの

幼稚園のお泊り保育の勢いで、その翌日は、孫のいよちゃんがひとりでわが家にお泊りすることになった。
すっかり自信のついた顔つきになっている。

夕方、いよちゃんのお気に入りの近所の駄菓子屋へ連れていったが、あいにく店は閉まっていた。バス通りのコンビニまで歩けるかと聞くと大丈夫と答えたので、手をつないで坂道をのぼってコンビニまで行く。
以前は買物かごの中に、次々とお菓子を入れていくので戸惑ったものだが、いつの間にかすっかり遠慮深くなって、かごの中には好物のグミを1袋入れただけ。なんでも欲しいものを選んだらいいよと言うと、そこでラムネ菓子を1個入れただけで、もういいと言う。
さらに促すと、ヤキソバ風と表示されたスナック菓子を手に取った。
場所を変えて、いよちゃんの好きなアイスクリームのボックスへ誘導する。小さな手が箱入りのチョコアイスを選んだので、そこへ、ぼくがカキ氷を3個ほうり込んだ。
レジに行ったら、目の前にきれいな花火セットが並んでいる。今夜は花火だということになって、いよちゃんが選んだのは、たまごっちのキャラクターで包装された花火の詰め合わせ。その袋を眺めながらの帰り道、たまごっちのファミリーを教えてもらったが、多すぎて、ぼくはどれも覚えることができなかった。

まだ、いよちゃんが生まれる前、マンションの9階に住んでいた頃は、居ながらにして大阪中の花火が見られたものだった。
7月の25日は天神祭りの花火。祭りのテレビ中継を観ながら、花火が上がるとベランダにとび出す。遠く市街地の灯りの海の一角に、小さな花が開くように光の玉がはじける。いくつか花火が上がったあとに、だいぶ遅れて音だけが雷鳴のように届くのだった。
8月1日は、日本一といわれるPLの花火。近くの丘陵の上に10万発の花火が炸裂する。仕掛花火は丘陵の黒い影に遮られて見えなかったが、真昼のように燃え上がる空と、地鳴りとなって届く音のどよめきで、仕掛けの豪華さが想像できた。
さらには大阪湾をはさんで、海の向こうの神戸や淡路島の花火、淀川沿いのあちこちで上がる遠くの花火、近くの暗い森のかげから突然噴きあがる大輪の花火など、毎日のようにどこかで花火が上がっているものだった。

9階の観覧席は、阪神大震災では大揺れに揺れて、生きた心地もしなかったけれど、1日の半分は空を漂っているようで、どこかで花火のあがる夜は、蒸し暑くて長い真夏の夜を忘れることができた。
いまは地べたの近くに住んでいるので、もう遠い花火を見ることはできない。
今夜は、いよちゃんと妻と3人で、近くの砂場で久しぶりのささやかな花火をした。
いよちゃんが恐がるので、音の出る花火や、空へ飛んでゆくロケット花火、地面を走り回るねずみ花火はない。1本ずつマッチで火をつけて、さまざまな色を噴き出す花火を静かに楽しんだ。
はじめは半分だけのつもりが、興に乗ったいよちゃんが次々に花火を取り出すので、ぼくもせっせとマッチを擦りつづけた。考えてみれば、マッチの火遊びも久しぶりで、花火の明りでよく見ると、忘れるほど昔に入った喫茶店の古いマッチだった。

夜中、お泊りさんは半分寝ぼけて暑い暑いと騒ぐ。パジャマをはだけてお腹を出す。さかんに転げまわって襖を蹴る。賑やかで大変な夜だった。眠ってしまえば、まだ幼い子どものままだ。
花火のあとは、真夏の夜の夢までも焦がす、大阪の長い熱帯夜なのだった。
  


Posted by ゃはねぬ at 18:35Comments(0)

2015年05月15日

わからん飼い主

ペットは飼い主に似る。
 一般的にはそういわれる。
 ロクは特別だった。
 わけのわからん飼い主一家に引き換え、真面目で賢かった。
 しごくまっとうな犬だった。
 そこが既に特別である。


 門の内側から玄関までの あまり広くないスペースに犬小屋を置き、
 ロクの居場所になっていた。
 一応 庭もあったが、
 今時はほとんど見なくなった 六軒の家がくっついた長屋形式の住まいで、
 両側を他家にふさがれており、
 散歩に連れ出す度に、 足を拭いて 家の中を横断せねばならず、
 めんどくさがりの飼い主一家は、 小屋を移したのだった。

 よくいう事を聞くばかりか、
 言わなくても 飼い主の意向をくみ取るような子だった。
 ご近所とも すぐに仲良くなって、 人気者になった。
 無駄吠えはせず、 飼い主よりもお行儀が良い。


 新聞屋さんの 集金に来る少年がいた。
 彼は、 呼び鈴を押すや、 門から飛びのき、 恐る恐る声をかけてきた。
 犬が恐いという。
 どこかで咬まれた事があったらしい。
 「おとなしいし、 絶対に咬まないから、 大丈夫よ。
 そんなに怖いなら、 押さえているから」
 と言っても、 近づこうとしない。
 トラウマ化していたらしい。
 仕方が無いので、 鎖でつなぎ、
 絶対に届かない事を示して、 門の外で応対した。

 翌月、 同じ少年が集金に来た と気がつくやいなや、
 ロクは、 犬小屋の陰に 隠れたのだ。
 犬小屋は、 門の外からは見えにくい位置にあった。

 新聞少年は、 犬が居ることを忘れてしまったのか、
 居なくなったと思ったのか、
 それから毎月 元気に集金にやって来た。
 その後も、 ロクの姿を見ることはなかったと思われる。
  


Posted by ゃはねぬ at 12:43Comments(0)

2015年05月06日

関税を撤廃して




以前からTPPについては反対の意見を書いてきて、反論も頂いたんだけど。

関税が撤廃されて自由な貿易が促進されれば、それはいい事ではないかと思う人もまだいると思う。TPPはフエアトレードでは無い。互いに良いようにと云う公平性を持った貿易ではないって事なの。

 平和は戦争によって保たれるとか、自由は服従する自由とか、無知である事は力であるとか。
言葉が本来の意味を失うように意図する政権の下で、公平性のある互いにとって良いような条約が結ばれるとは、まったく思えない。大体自民党は、TPPは絶対に反対って言ってたじゃないのかね。

 北米自由貿易協定(NAFTA)を92年に締結してから、米国の中間層の没落は米国の経済を落とし込んでしまい労働者の賃金は40年前の水準にまで落ち込んでる。これは、TPPによって間違いなく日本でも起こりうる。既に日本でも起こっているよね。

 TPPに反対なのは、それが単に貿易の範疇だけでないからで。関税を引き下げて「自由貿易」を目指す国際的な協議機関には既にガットがある。
それはお互いに相手国の「主権」を尊重した上で、出来る限り関税を引き下げて「自由貿易」を行おうとするものとされてきた。その主旨は理解できるよね。

 ところがTPPは根本的に違う。関税を撤廃して国の産業政策として自由貿易がおこなわれることではない。ISDI条項があることなの。。

 これは、日本の農産業を守る独自の「非関税障壁」も関税の一種だとみなして。貿易関連の投機家からの提訴があれば、世界銀行の中の一機関が判定できるのがISDI条項だ。

 乱暴を承知云えば、企業が他国を裁判に訴えて、世界銀行が判定する。この投機家って言うのはさ、いってみれば利益を得る大企業が、もっと自分達が儲けられるように規則を変えろ、その規則があるからオレら損したから補償しろみたいなもんよ。
  


Posted by ゃはねぬ at 18:48Comments(0)